M&A法務の現実〜華やかさの裏で法務がやっている地味な仕事〜

筆者による現場レポート|売主・買主双方の法務実務を率直に描写

昼前の会議室は華やかだった。名刺を交わし、将来図を語る経営陣。だが法務室の午後は違った。「この2019年の販売代理店契約、どのキャビネットでしたっけ?」「スキャナーまた紙詰まりです」──これがM&Aの現実だ。

「M&A」という響きは確かに華やかです。でも、法務部から見たM&Aの現実は、想像以上に地味で事務的な作業の連続。筆者が関わった案件の大半は、契約書探しとファイル整理に追われる日々でした。

売主側法務部:書類の山との格闘が始まる

華やかな初回面談の翌日から

M&Aプロセスが始まると、確かに最初だけは少し華やかです。買主候補者との初回面談。会議室には自社の経営陣、買主側の経営陣、そして両社の弁護士、コンサルタント、投資銀行担当者がずらりと並びます。名刺交換をして、お互いの事業について説明し合う。「おお、これがM&Aか」と思う瞬間です。

でも、その華やかな初回面談が終わった翌朝から、法務部の本当の戦いが始まります。メールボックスには、買主側弁護士からの重いPDFが添付されています。件名:「Due Diligence Information Request」

Q&Aシートという名の悪夢

筆者が関わった過去3件の案件では、初回Q&Aは平均で85項目、最大で230項目でした。

「御社の過去5年間の訴訟履歴を教えてください」
「主要な契約書をすべて開示してください」
「許認可の取得状況と更新スケジュールは?」
「労働組合との協定書はありますか?」
「知的財産権の一覧表を作成してください」

法務部の仕事は、これらの質問にひたすら回答することです。問題は、答えを法務部が知らないことです。

社内を駆け回る日々

「営業部長、この取引先との基本契約って、いつ締結でしたっけ?」
「人事部さん、退職金規程の最新版、どこにありましたっけ?」
「経理さん、監査法人との契約書、ファイルありますか?」

そして、みんな忙しい。M&A案件だからといって、他の業務が止まるわけではありません。「来週までに」と言われても、「来週は出張で」「来週は期末で」「来週は別の案件で」という返事が返ってくる現実。法務部員は、社内を駆け回りながら「M&Aって、こんなに地味だったっけ?」と思うのです。

データルームという名の書類地獄

回答できた質問は、今度はデータルームという電子的な書庫にアップロードしなければなりません。

契約書1つをアップロードするのに:
1. 紙の契約書を探す(キャビネットのどこだっけ?)
2. スキャナーでPDF化(紙詰まり頻発)
3. ファイル名を規則に従って変更
4. 適切なフォルダにアップロード

筆者が関わった中規模案件では、データルームの初期アップロードだけで延べ80時間の工数がかかりました。「これ、本当に法務の仕事?」と思いながらも、誰かがやらなければならない作業です。なお、リーガルDDの優先順位づけと作業分割の実例を先に確認しておくと、着手順の迷いが減ります。

実務メモ:優先順位は①訴訟・係争 ②許認可 ③主要契約 ④人事労務 ⑤知財の順で対応。全部同時は不可能なので、Deal Killerになりそうなものから手をつける。

買主側法務部:連絡係という名の重労働

最初のワクワク感は3日で消える

買主側も最初は少しワクワクします。新しい会社を買収するかもしれない。どんな会社なんだろう。どんなリスクがあるんだろう。

でも、デューデリジェンス(DD)が始まると、法務部の仕事は基本的に「高度な連絡係」になります。

弁護士と売主の間で右往左往

自社の弁護士から:「この契約書の第15条について、もう少し詳しい説明を求めてください」
売主側弁護士から:「ご質問の件について、回答を準備いたします」

そして法務部員は、この間を行ったり来たりするメッセンジャーのような存在になります。

朝一番のメール:弁護士からの質問リスト
昼前のメール:売主側からの追加資料依頼
夕方のメール:売主側からの回答(でも質問の答えになってない)
夜のメール:弁護士からの再質問

この無限ループが数週間続きます。

契約交渉という名の板挟み地獄

DDが終わって契約交渉に入ると、今度は契約書のドラフトが行ったり来たりします。法務部員は、これらのやり取りを管理し、社内の関係者に内容を報告し、経営陣への説明資料を作成します。

「この条項、経営陣は受け入れられないと言っているのですが…」
「弁護士は法的にリスクが高いと言っているのですが…」
「相手方はこれ以上の譲歩は難しいと言っているのですが…」

三方からの要求を調整する日々。でも、最終決定権は自分にはありません。

クロージング日:微妙な達成感と残務の山

ついに迎えるクロージング

長い月日をかけて、ついにクロージング日を迎えます。契約書に署名が行われ、代金が支払われ、M&Aが完了します。この瞬間は確かに達成感があります。「やり切った」という気持ちになります。

法務部員に待っているのは…

でも、法務部員に待っているのは残務整理です。契約書の製本、ファイリング、関係書類の整理、弁護士への礼状、データルームのアクセス権削除、社内関係者への完了報告…そして次の日からは、また別の案件が待っています。「お疲れ様でした」のメール一通で、M&A案件は終了です。

これって、楽しい仕事なの?

率直な感想

筆者の経験では、M&A案件が楽しいかと問われると、正直微妙です。達成感はあります。会社の重要な意思決定に関与している実感もあります。でも、日々の作業の9割は事務的で、創造性を発揮する余地は限られています。

弁護士が「法的論点」を議論している横で、法務部員は「このPDFのファイル名、規則に合ってましたっけ?」と確認している現実。

やりがいがあるとすれば…

  • 会社の未来を左右する重要な案件に関与できること
  • 高度な法的判断の議論を間近で聞けること
  • 異なる専門分野の人たちと協働する経験
  • 完了時の「やり切った」感

ただし、これらを感じられるのは案件全体の1割程度の時間です。残り9割は、ひたすら書類との格闘です。

M&A法務の現実的な位置づけ

結局のところ、M&A案件は法務部にとって「重要だが、日常業務としてはルーティン化された重い事務作業」というのが率直な感想です。特別にエキサイティングでもないし、特別につまらないというわけでもない。ただ、他の案件よりも少し大きくて、少し複雑で、少し期間が長い事務処理です。

法務部員にとって本当に重要なのは、日々発生する契約レビュー、法的相談への回答、コンプライアンス体制の構築など、会社の継続的な運営を支える業務です。M&A案件は確かに重要ですが、それは会社全体にとって重要なのであって、法務部員個人のキャリアにとって特別に意味があるかというと、そうでもないのが現実です。DDの見落としを減らす運用面では、多段階プロンプトでDDの抜けを系統的に潰す方法も参考になります。

実務メモ:データルーム設定は Legal / IP / HR / Finance / Permits でフォルダ分け。命名規則は [分類]_[文書種類]_[相手方]_[年月日].pdf が無難。

おわりに:地味な仕事の向こう側

M&Aという響きに華やかさを感じるのは当然です。でも法務の現場では、契約書の山と格闘し、データ整理に追われ、関係者との調整に奔走する日々が続きます。それでも、その地道な作業一つ一つが、会社の未来を支えている──そんな誇りを持って、今日も書類と向き合うのです。

*本記事は筆者の個人的な経験に基づいており、すべてのM&A案件に当てはまるものではありません。また、M&A案件の重要性や価値を否定するものではなく、法務実務の現実的な側面を率直に描写したものです。

本記事の内容は執筆時点の一般的情報であり、特定事案への適用を保証するものではありません。実務適用は専門家にご相談ください。