取引基本契約書における知的財産権非侵害保証・補償条項の実務 法務が知っておくべき2025年最新動向と実践的ポイント
基本構造の理解
表明保証(Representation/Warranty)は「契約時点の事実」を示し、補償(Indemnity)は「第三者請求が起きたときの対応と費用負担」を定めます。両者を分離かつ連動して設計することが不可欠です。
単純な「非侵害保証」だけでは立証負担や初動対応の空白が残り、買主の保護が不十分になります。補償条項で防御(defense)権限・報告義務・費用負担・和解同意等を明確化することで、初動の空白を埋め、事業継続性を確保できます。
2024–25の最大トレンド
生成AIの学習データ/生成物の権利リスク、OSSコピーレフト、データ関連権利(限定提供データ・個人情報保護法)、国際的な訴訟コスト増が重要な潮流です。これらは契約設計や補償の考え方に直接影響します。
実務対応の要点
実務対応としては、(1) 知識(Knowledge)の定義を精緻化すること、(2) 通知・防御ワークフローを数値化(例:通知30日、引受回答30日)すること、(3) AI・OSS・データ項目を専用条項で扱うこと、(4) 保険と連動させること、が肝要です。
交渉上の実務的”落としどころ”ガイド
買主が譲歩できる点としては、責任上限(直近対価の1–3倍等)、限定的な地理的適用、逸失利益の除外または上限設定などが考えられます。売主が譲歩すべき点としては、通知期間の現実的短縮(30日)、Defense報告の頻度、OSS一覧の提供、AI監査の限定化(年1回かつNDA下)などがあります。
実務的な妥協案としては、主要権利(特許・著作権・営業秘密)を包括保証し、地理を事業主要国に限定、AIは監査+概要開示、責任上限は直近12ヶ月対価の2倍+保険で補完する、といった組合せが現実的です。
はじめに
取引基本契約書における知的財産権の非侵害保証・補償条項は、デジタル化の加速とAI技術の普及により、これまで以上に重要性を増しています。実務者の中には「非侵害保証があれば安心」「補償条項さえあれば大丈夫」といった表面的な理解に基づいて対応し、いざというときに期待した保護を得られなかった事例が少なくありません。
聞いた話では、特に「保証があるから大丈夫と思っていたのに、第三者から警告を受けた際に相手方から『侵害の立証をしてください』と言われて困った」という内容が印象的でした。そこで本稿では、こうした実務上の課題を踏まえ、知的財産権非侵害保証・補償条項の本質的な理解と実践的な条項設計のポイントを、実際の条項例を交えながら詳しく解説します。
実務で即座に利用可能な重要条項を冒頭でご紹介します。詳細な解説は後述しますが、緊急時にはこちらを参照してください。
【緊急時通知・防御条項】 甲は第三者請求受領後30日以内に乙に書面通知し、乙は30日以内に防御引受可否を回答する。期限徒過時は甲の自己防御を認め、費用は乙負担とする。
【AI学習データ条項】 乙は学習データの適法取得を保証し、甲の年1回の監査(NDA下・第三者実施)を受諾する。重大不備発見時は甲の解除権を認める。
【OSS開示条項】 乙は組込みOSSの一覧(ライセンス名・再頒布義務の有無)を甲に提供し、GPL等のコピーレフト系は代替措置を検討する。
1. 基本構造の深い理解
1.1 まずは用語の正確な理解から
知的財産権条項を適切に設計するためには、まず基本的な法的用語の正確な理解が不可欠です。特に重要なのが「表明保証」という概念です。表明(Representation)とは、契約締結時点における事実の陳述を意味します。一方、保証(Warranty)とは、その事実が真実であることの約束を指します。日本の実務では両者を組み合わせて「表明保証」として使用することが一般的ですが、厳密には異なる法的概念であることを理解しておく必要があります。
この区別が重要なのは、表明に虚偽があった場合と、保証に違反があった場合では、法的な救済方法や立証責任が異なる場合があるためです。実務ではこれらを意識して文言設計・救済の構成を検討することが求められます。
1.2 なぜ保証と補償の両方が必要なのか – 実務上の根本的問題
ここで、多くの実務者が陥りがちな誤解について説明します。「知的財産権の非侵害保証があれば十分」と考える方が多いのですが、実際の紛争を経験すると、それがいかに危険かが分かります。単純な保証条項だけでは買主が期待する保護を得られない場合が多々あります。その理由を具体的に見ていきましょう。
単純な保証条項の限界
典型的なシンプルな条項の例として「売主は、本製品・サービスが第三者の知的財産権を侵害していないことを保証する。」という一文が挙げられます。一見すると買主を保護しているように思えますが、実際には重大な問題がいくつかあります。
第一の問題は立証責任の重さです。買主が売主の保証違反を主張するには実際に侵害があることを立証する必要があり、特許侵害の立証は高度に技術的で弁理士や技術専門家を要するなど高額になります。さらに立証に成功しても損害額算定で争いが生じます。
第二の問題は第三者対応の空白です。保証条項だけでは第三者からの警告や訴訟への初動対応が不明瞭になり、誰が対応し費用を負担するかが曖昧になります。第三の問題は時間的制約で、差止請求など迅速な対応が必要な場面で立証を待っていると間に合わないことが多い点です。
1.3 補償条項の種類と実務的選択
補償条項はこれらの問題を解決します。具体例として「乙は、本件製品・サービスに関して甲が第三者より知的財産権侵害の請求を受けた場合、甲を補償し、甲に代わっての交渉や訴訟費用の負担、和解金の支払い、定期的な進捗報告を行う」といった構成が考えられます。補償条項は即座の保護、専門的対応の確保、費用負担の明確化をもたらします。
補償のタイプとしては、(A)Strict Indemnity(厳格補償)と(B)Fault-based Indemnity(過失ベース補償)があります。日本実務では(B)が一般的ですが、事業継続性重視の場面では(A)要素の導入も検討されます。選択は事業性や交渉力に応じて行う必要があります。
2. 条項設計の実務的詳細分析
ここからは具体的な条項設計の方法を解説します。実務では細部の差が紛争発生時の結果に大きく影響しますので、丁寧に設計することが重要です。
2.1 保証範囲設定の戦略的アプローチ
「乙の知る限り」といった表現は解釈の幅が広く、争いになりやすいので注意が必要です。そこで「乙の知る限り(Seller’s Knowledge)」を代表取締役、開発責任者、法務責任者の認識や社内文書、第三者の書面通知に限定する定義を入れると立証範囲が明確になり、売主の不当な負担を回避できます。
こうした定義により売主側は過度な調査義務を回避でき、買主側は責任範囲を把握しやすくなります。また、社内文書管理体制の整備が促され、リスク管理の観点からも有益です。
対象権利の範囲をどこまで広げるか
保証の対象となる知的財産権をどこまで含めるかは交渉ポイントになります。買主は特許、意匠、著作権、商標、営業秘密、限定提供データ、出願中の権利などを含む包括的保証を求めがちです。一方で売主はソフトウェアや海外特許など調査コストがかかるものを除外したいという立場になります。
実務では、包括的アプローチと限定的アプローチのバランスをとり、合理的な除外事項や「知識」限定などを組み合わせて合意することが多いです。
通知・防御・和解の明確なワークフローを定める
第三者請求が来た際の手続きは明確に書くべきです。例として、甲が請求を受領したら原則30日以内に乙に書面で通知し、乙はその受領から30日以内に防御を引き受けるか否かを通知する、といった期限を設けることで初動を確実にします。
乙が防御を引き受ける場合は独占的指揮権を与える一方で、甲の事業継続に重大影響を与える和解は甲の事前同意を不要条件に除外する、といった仕組みを入れると実効性が高まります。甲の合理的な協力義務や不履行時の効果も明記しておきましょう。
2.2 補償条項の構造的設計(補償範囲)
補償対象には直接損害、手続費用(訴訟費用・弁護士費用・鑑定費用など)、事業影響損害(代替調達費用・回収費用・顧客対応費用・逸失利益等)、保険免責額などを含めることが想定されます。買主側は包括的に求めることが多いですが、売主は間接損害除外や上限設定、期間制限(例:契約終了後2年)を求める点が交渉の焦点になります。
現代的課題:オープンソース・第三者コンポーネントの取扱い
OSSや第三者コンポーネントは現代ソフトウェアに不可欠ですが、GPL等のコピーレフト系は再頒布義務やソース開示義務を生じさせるため、契約上で一覧開示、ライセンスの影響範囲の説明、帰属表示文の提供、代替措置検討等を義務付けることが重要です。
OSS起因の請求に対する補償規定を明確にしつつ、甲が乙の指示に従わなかった場合の免責も定めることで実務運用上の齟齬を減らします。
2.3 免責・例外事由の戦略的設定
補償条項には免責事由を定めるのが通常です。甲の仕様に従った結果生じた侵害、甲提供の素材使用による侵害、甲の改変による侵害、第三者製品との組合せなどは売主の免責事由となり得ます。ただし、乙の予見可能性や乙の技術的な注意義務があった場合には免責を制限する条項を設け、バランスを取ることが推奨されます。
具体的には、乙が甲の問題点を知り得て警告を怠った場合や合理的な代替設計があった場合には免責が適用されない旨を明記するなど、比例原則を意識した定めが有効です。

