固定残業代が無効になる5パターン──裁判例から見る実務の落とし穴|Legal GPT
固定残業代が無効になる5パターン
──裁判例から見る実務の落とし穴
最高裁判例に基づく有効要件の完全整理、無効判断の構造分析、有効設計チェックリスト&条項モデル、金額シミュレーションまで──企業法務の「攻め」と「守り」を一本で。
はじめに──「書いてあれば有効」は危険な誤解
「基本給30万円(固定残業代45時間分含む)」──この記載を見て、「ちゃんと書いてあるから問題ない」と思った方は要注意です。形式上は整っているように見えるこの書き方こそ、裁判で「無効」と判断される典型例の一つです。
固定残業代(みなし残業代)は、毎月の残業代計算を簡素化し、人件費を予測可能にする便利な制度として、多くの企業が導入しています。しかし、その「便利さ」が落とし穴になります。固定残業代が裁判で無効とされた場合、企業が被るダメージは想像以上です。
基本給25万円+固定残業代5万円(40時間分)で運用していた企業が、裁判で「判別不能」と判断された場合、何が起きるか。
第一に、固定残業代5万円が「基本給」とみなされます。基本給は30万円に上昇します。
第二に、30万円をベースに過去3年分の残業代が再計算されます。基礎賃金が高くなる分、支払うべき残業代も当然高額になります。
第三に、固定残業代として支払っていた月5万円が、裁判上「割増賃金の既払」と評価されない方向に働くことがあります。その結果、固定残業代は”通常賃金(基礎賃金)”に取り込まれ、基礎賃金が上がった状態で割増賃金が再計算されるため、企業側は“二重払い”に近い負担を負い得ます。
さらに、裁判所が付加金(労基法114条)の支払いを命じれば、未払残業代と同額の制裁金が上乗せされる可能性があります。※1
→ 従業員1人あたり、数百万円規模の負担が発生するケースは珍しくありません。
1. 法的枠組み──固定残業代はなぜ「例外」なのか
1-1. 労基法37条の原則
労働基準法37条1項は、使用者が時間外労働をさせた場合、通常の労働時間の賃金の計算額の25%以上(月60時間超は50%以上)の割増賃金を支払わなければならないと規定しています。法定休日労働は35%以上、深夜労働は25%以上です。
この条文が定めるのは「算定方法による最低額」です。つまり、この額を下回らなければ、支払い方法自体は法律で厳密に限定されていません。ここに、固定残業代制度の法的根拠があります。
| 労働の種類 | 割増率 | 根拠条文 |
|---|---|---|
| 時間外労働(月60時間以内) | 25%以上 | 労基法37条1項本文 |
| 時間外労働(月60時間超) | 50%以上 | 労基法37条1項但書 |
| 法定休日労働 | 35%以上 | 政令(労基法37条1項) |
| 深夜労働(22時〜5時) | 25%以上 | 労基法37条4項 |
1-2. 最高裁が示した有効要件
固定残業代の有効性について、最高裁は複数の判決を通じて判断枠組みを形成してきました。
| 判例 | 争点 | 意義 |
|---|---|---|
| 高知県観光事件 最二小判 平6.6.13 |
明確区分性 | 歩合給制タクシー会社について、通常賃金と割増賃金の判別不能を理由に無効。明確区分性の要件を示した先駆的判例。 |
| テックジャパン事件 最一小判 平24.3.8 |
判別可能性 | 基本給月額41万円に残業代が含まれるとの主張を否定。櫻井補足意見が①時間数・金額の明示、②超過分の別途支給の明示を実務指針として提示。 |
| 医療法人社団康心会事件 最二小判 平29.7.7 |
対価性 | 基本給等に含めて支払う方法自体は直ちに違法ではないと判示。対価性の要件を明確化。 |
| 日本ケミカル事件 最一小判 平30.7.19 |
総合考慮 | 契約書の記載内容、使用者の説明、実際の労働時間等を総合考慮して対価性を判断する枠組みを精緻化。 |
| 国際自動車事件 最一小判 令2.3.30 |
実質的対価性 | 歩合給から残業手当を控除する計算方式について、残業手当が時間外労働の対価として支払われているとは言えないと判断。 |
1-3. 有効要件の整理
| 要件 | 内容 | 必須性 |
|---|---|---|
| ① 合意 | 雇用契約書・就業規則等で固定残業代制をとる旨が合意されていること | 必須 |
| ② 明確区分性 | 通常賃金部分と割増賃金部分が判別できること | 必須 |
| ③ 対価性 | 固定残業代が時間外労働等の対価として支払われていること | 必須 |
| ④ 差額支払合意 | 超過分を別途支払う旨の合意 | 推奨※2 |
2. 固定残業代が無効になる5つのパターン
時間数が明示されていない
何時間分の残業に対する対価なのかが不明な場合、明確区分性を欠くと判断されるリスクが高くなります。通常の賃金部分との判別ができず、法律上の計算額との比較検証もできません。
✅ 実務のポイント:「固定残業手当5万円(月30時間分の時間外労働に対する割増賃金として)」のように、時間数・金額・対価の性質を三点セットで記載するのが鉄則です。
基本給と明確に区別できない
最も多い「やらかし」パターンです。30万円のうち、いくらが通常の賃金でいくらが残業代なのかが判別できません。高知県観光事件・テックジャパン事件で否定されたのはまさにこのタイプです。
✅ 実務のポイント:給与明細上も費目を分離すること。「基本給25万円」「固定残業手当5万円(月30時間分)」のように分けて記載します。雇用契約書の記載と給与明細の記載が一致していることが重要です。
超過分を払っていない
設計上は超過分を支払う規定があっても、実際に支払っていなければ、制度の実態として時間外労働の対価として機能していないと評価される可能性があります。
「固定」=「定額」=「上限」ではありません。固定残業代は「最低保証額」であり、超過分の支払義務が消滅するものではありません。月次の残業時間集計と超過分の計算・支給体制を構築することが不可欠です。
設定時間が長時間労働を恒常的に予定している
イクヌーザ事件(東京高判平成30年10月4日)は、月80時間分の固定残業代の定めについて、長時間の時間外労働を恒常的に行わせることを予定したものであり、労働者の健康を損なう危険があるとして、公序良俗に反し無効と判断しました。
労基法上の時間外労働の上限は原則として月45時間・年360時間です(労基法36条3項・4項)。特別条項付き36協定を締結しても、時間外労働+休日労働の合計は月100時間未満、2~6か月平均80時間以内が上限です(同条6項)。
※30~40時間が実務上の安全圏。45時間超は36協定の原則上限に近接するため慎重な設計が必要です。80時間級の設計は、公序良俗違反で全体無効とされ得ます。
求人票と労働契約書が整合していない
厚生労働省は、固定残業代制を採用する場合、求人票・募集要項に以下の3点すべてを明示するよう求めています(若者雇用促進法に基づく指針)※3。
| # | 必須記載事項 | 記載例 |
|---|---|---|
| ① | 固定残業代を除いた基本給の額 | 基本給 250,000円 |
| ② | 固定残業代の金額と対応する時間数 | 固定残業手当 50,000円(月30時間分) |
| ③ | 超過分を追加で支払う旨 | 30時間超の時間外労働は追加支給 |
3. なぜ顧問弁護士がいても「やらかす」のか──構造的原因
固定残業代のトラブルは、法律の無知だけが原因ではありません。組織構造に起因する問題が潜んでいます。
(1)「求人票の見栄え」優先の罠
採用部門が競合他社との差別化のために月給総額を大きく見せたがる。その結果、求人票と契約書の間に不整合が生じます。
(2)「計算の丸め」の罠──1円不足で全額否認のリスク
1円単位の端数処理によって、固定残業代の金額が法定の割増賃金計算額をわずかに下回ってしまう。数円の不足が全額無効の引き金になりうるのが、この制度の怖いところです。
Excelの計算式でROUNDDOWN(切り捨て)を使っているだけで、法定額を下回る可能性があります。割増賃金の算定は切り上げ処理で行うのが安全です。1円の不足が5万円全額の否認につながる「全か無か」のギャンブルであることを、システム設計者も理解しておく必要があります。
(3)「固定=定額」という言葉の呪い
「固定残業代を払っているから、毎月それ以上は払わなくていい」──この思い込みが超過分の不払いを生む最大の原因です。
(4)改定のメンテナンス漏れ
昇給・降給・最低賃金の改定があったにもかかわらず、固定残業代の計算根拠を更新しないケースも多発しています。基本給が変動すれば1時間あたりの基礎賃金額も変わるため、固定残業代の時間数や金額も見直しが必要です。
こうした組織的な「やらかし」の予防には、就業規則の改定プロセスそのものを見直すことが重要です。
4. よくある誤解を正す
❌ 誤解①「45時間分の固定残業代があれば、45時間までは何をしてもOK」
固定残業代は残業代の支払い方法にすぎません。時間外労働自体の適法性は、36協定の有無と内容によります。36協定を締結していなければ、1分の時間外労働も違法です。固定残業代の存在と、時間外労働をさせることの適法性はまったく別の問題です。
❌ 誤解②「固定残業代を払えば、割増率は自由」
固定残業代が対象とするのは通常の時間外労働の割増賃金(25%以上)に限られるのが一般的です。深夜労働(22時~5時)の割増賃金(25%以上)や法定休日労働の割増賃金(35%以上)は別途の計算が必要です。条項に「休日労働および深夜労働を除く」と明記することでトラブルを防げます。
❌ 誤解③「管理監督者にすれば問題なくなる」
労基法41条2号の「管理監督者」に該当すれば、時間外・休日労働の割増賃金は適用除外になります。しかし、裁判実務では管理監督者該当性は非常に厳格に判断されており、「課長」等の肩書だけでは認められません。また、管理監督者であっても深夜割増賃金の支払義務は免除されません。
5. 有効設計のための実務チェックリスト
📝 書面設計
- 基本給と固定残業代が明確に分離されているか
- 固定残業代が何時間分の時間外労働に対応するか明示されているか
- 1時間あたりの基礎賃金額と計算根拠を記録しているか
- 超過分を追加で支払う旨が明文化されているか
- 対象が「時間外労働のみ」か「休日・深夜を含む」か明確になっているか
📋 契約・規程の整合性
- 就業規則の固定残業代規定と雇用契約書の記載が一致しているか
- 求人票・募集要項にも3点(基本給額、固定残業代の金額と時間数、超過分支払の旨)が記載されているか
- 給与明細で基本給と固定残業代が別の費目として表示されているか
⚙️ 運用・メンテナンス
- 毎月の実際の残業時間を集計し、超過が発生した月は差額を支給しているか
- 36協定の内容と固定残業代の設定時間が整合しているか
- 昇給・最低賃金改定時に固定残業代の計算根拠を更新しているか
- 固定残業代の設定時間が月45時間以内に収まっているか
- Excelの端数処理に切り上げを使用しているか(
ROUNDUP推奨)
6. 設計論──「何時間に設定すべきか」を考える
安全圏は30~40時間
36協定の原則上限である月45時間に対し、固定残業代を30時間程度に設定し、超過分は別途支払う設計には以下のメリットがあります。
① 上限規制との間にバッファが生まれ、36協定違反のリスクが低減する。② 30時間超の残業が発生した場合のアラート機能として活用できる。③ 採用ブランディング上も「30時間」のほうが「45時間」より印象が良い。
45時間超は「時限爆弾」
45時間を超える固定残業代を設定している場合、たとえ特別条項付き36協定があっても、「恒常的な長時間労働を前提としている」とみなされ、対価性が否定されやすくなります。80時間級の設計はイクヌーザ事件のとおり公序良俗違反で全体無効のリスクがあります。
将来の法改正リスク
2024年4月から建設業・運送業・医師にも時間外労働の上限規制が全面適用されました。今後も長時間労働の抑制は強化される方向にあり、2027年施行見込みの労働基準法大改正では勤務間インターバル制度の義務化も議論されています。固定残業代の設定時間を高く設計すると、将来の法改正で不整合が生じるリスクがあります。
7. 固定残業代条項モデル(例示)
第○条(固定残業手当)
1. 会社は、従業員に対し、1か月あたり●●時間分の時間外労働(法定休日労働および深夜労働を除く。)に対する割増賃金の定額払いとして、固定残業手当(月額●●円)を支給する。
2. 前項の手当の算定の基礎となる1時間あたりの賃金額は、本契約締結時の基本給月額に基づき、月間所定労働時間(所定労働日数×1日の所定労働時間)を前提として、労働基準法施行規則第19条の方法により算出される額(●●円)とする。
3. 実際の時間外労働時間が第1項に定める●●時間を超えた場合は、その超過分について、労働基準法第37条に基づき算定した割増賃金を別途支払う。なお、割増賃金の算定に際し、第1項の固定残業手当は当該月の時間外労働に対する割増賃金の既払分として控除する。
4. 法定休日労働および深夜労働(午後10時から午前5時まで)に対する割増賃金は、第1項の固定残業手当には含まれず、別途労働基準法の定めに従い支払う。
対象となる労働の種類(時間外のみ/休日・深夜を除く)、時間数、金額、計算根拠(月間所定労働時間ベース)、超過分の支払い、既払控除の趣旨──これらをすべて盛り込むことで、明確区分性・対価性・差額支払合意の全要件をカバーしています。
※このモデル条項は参考例であり、自社の実情に合わせた修正と、弁護士・社労士によるレビューを強くお勧めします。
8. 裁判リスクの金額感──「たかが5万円」のリアル
具体的な試算
| 項目 | 有効の場合 | 無効の場合 |
|---|---|---|
| 基礎賃金(月額) | 250,000円 | 300,000円 |
| 1時間あたり基礎賃金※4 | 1,562.5円 | 1,875円 |
| 割増賃金単価(×1.25) | 1,953.1円 | 2,343.75円 |
| 月あたり(30h残業) | 既払(固定残業代で充当) | 約70,312円 |
| 36か月分 | ─ | 約253万円 |
| 付加金(最大同額) | ─ | 約253万円 |
| 合計リスク | ─ | 500万円超 / 1人 |
これが10人の従業員に波及すれば5,000万円超。中小企業にとっては経営を揺るがす金額です。固定残業代の「設計ミス」は、個別の労務問題ではなく、経営リスクそのものです。
9. 今日からできるアクションプラン
「やるべきこと」がわかっていても、社内で動けなければ意味がありません。以下は、優先度と所要期間で整理した実務者のためのロードマップです。
🕐 今日できる ── 明細上で「基本給」と「固定残業手当」が分かれているか確認
🕐 今週中 ── 時間数・金額・計算根拠が三点セットで記載されているか
🕐 来週中 ── 厚労省が求める①基本給額②時間数と金額③超過分支払を明記
🕐 1か月以内 ── 勤怠・給与システムで月次集計→超過分自動計算の仕組みを整備
🕐 四半期以内 ── 直近12か月の平均時間外労働データに基づき、平均+バッファで再設計
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参考条文・判例一覧
| 法令・判例 | 概要 |
|---|---|
| 労基法37条1項 | 時間外・休日・深夜労働の割増賃金支払義務 |
| 労基法36条3項~6項 | 時間外労働の上限規制(原則月45時間・年360時間) |
| 労基法114条 | 付加金の制度 |
| 労基法施行規則19条 | 割増賃金の基礎となる賃金の計算方法 |
| 高知県観光事件(最二小判平6.6.13) | 明確区分性の要件を示した先駆的判例 |
| テックジャパン事件(最一小判平24.3.8) | 組込型固定残業代の無効判断・櫻井補足意見 |
| 医療法人社団康心会事件(最二小判平29.7.7) | 対価性の要件を明確化 |
| 日本ケミカル事件(最一小判平30.7.19) | 対価性の総合考慮判断枠組みの精緻化 |
| 国際自動車事件(最一小判令2.3.30) | 実質的な対価性の判断 |
| イクヌーザ事件(東京高判平30.10.4) | 月80時間分の固定残業代を公序良俗違反で無効 |
※1 付加金は裁判所の裁量により命じられるものであり、常に認められるものではありません。また、付加金の請求には期間の制限があります(労基法114条。請求期間は現行法上「5年」ですが、賃金債権の消滅時効は当面「3年」の経過措置が適用されています)。
※2 差額支払合意は、現時点では必須の有効要件とまでは解されていません。しかし、テックジャパン事件の櫻井補足意見の影響により、差額支払合意を有効要件とする下級審判例も存在するため、実務上は明記しておくことが安全策です。
※3 厚生労働省「固定残業代を賃金に含める場合は、適切な表示をお願いします。」(厚生労働省・都道府県労働局・ハローワーク)。
※4 所定労働時間は会社の就業形態により異なります。本試算では月160時間(1日8時間×月20日)を目安として使用しています。
※ 本記事は法令・判例に基づく一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の事案に対する法的助言ではありません。具体的な制度設計については、弁護士・社労士にご相談ください。
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