不正疑惑はどこまで調査する?社内調査を始める判断基準
不正疑惑はどこまで調査する?社内調査を始める判断基準
公益通報者保護法は、令和7年改正法(令和7年法律第62号)が2026年12月1日に施行予定です。本記事の同法に関する記述は、基準日(2026年9月5日)時点の現行制度を前提としています。
法務部の共有アドレスに、差出人不明のメールが届きました。
購買部では、特定の取引先から見積額の5%を担当者個人に戻してもらっています。少なくとも昨年から続いています。○○社との取引を調べてください。
添付資料はありません。購買部の年間取引額は数十億円。誰が受け取っているのかは書かれていません。ただ、○○社との取引自体は実在します。
法務部の中で意見が分かれました。
- Aさん:「証拠がない。こんな匿名メールだけで大規模調査はできない」
- Bさん:「もし本当なら重大だ。購買部全体を調べるべきだ」
- Cさん:「まず○○社との取引だけ確認すればよいのでは」
Aさんは「証拠が添付されていない」ことと「会社の資料で確認できない」ことを混同し、Bさんは重大性だけで範囲を決めようとしています。Cさんの案は出発点として合理的ですが、結果に応じて範囲をどう広げるかの基準がありません。
この場面の答えは、「調査する/しない」の二択ではありません。
まず必要な範囲の予備確認を行い、その結果に応じて調査の深さと範囲を段階的に決める。
これが本記事の結論です。そして、「調査しない」という判断も一つの会社判断であり、後から説明できる根拠と記録が必要です。
第5話からシリーズは「情報が会社に入った」段階から「会社が実際に調べる」フェーズに入ります。本記事では調査の方法論ではなく、その手前の入口判断、つまり調査を始めるか(threshold)と、どこまでを対象にするか(scoping)に絞って解説します。
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【シリーズナビゲーション】企業不祥事の初動対応|全15話
第1部|外部から不正情報が入ったとき
第2部|不正疑惑を調査するとき
- 05不正疑惑はどこまで調査する?社内調査を始める判断基準この記事
- 06企業不祥事の証拠保全|メール・チャット・PCをいつ確保する?
- 07社内調査は誰が行う?法務・監査・人事・外部弁護士の役割分担
- 08経営陣に不正疑惑があるときどう調査する?調査の独立性と第三者委員会
- 09会社の不正が判明したら行政に報告すべき?報告義務と自主申告の判断
第3部|疑惑が外部化したとき
第4部|初動対応の総仕上げ
不正疑惑が入ったら必ず社内調査する義務がある?
結論から言うと、「不正疑惑が寄せられたら、すべての会社に一律の法的調査義務がある」とはいえません。調査義務の有無や期待される水準は、情報の取得経路、公益通報者保護法の適用、会社の属性、上場の有無、業種と個別法、社内規程、取締役等の義務、内部統制体制、取引所規則等によって変わります。一方で「法的義務がないなら調べなくてよい」ともなりません。次の3つを分けて考えます。
① 内部公益通報に当たる場合|「正当な理由」がない限り必要な調査を行う
公益通報者保護法11条2項は、事業者に対し、内部公益通報に応じて適切に対応するための体制の整備その他の必要な措置を求めています。常時使用する労働者の数が300人を超える事業者には義務、300人以下の事業者には努力義務です(同条3項)。
その内容を具体化した法定指針(令和3年内閣府告示第118号)は、内部公益通報受付窓口で内部公益通報を受け付け、正当な理由がある場合を除いて、必要な調査を実施することを求めています(指針第4の1(3))。
「正当な理由」について、消費者庁「内部公益通報対応体制の整備に関するQ&A」(令和2年改正後のQ&A)のQ16(「正当な理由」の意味と匿名の扱いに関する設問)は、例として次の2つを挙げています。
- 解決済みの案件に関する情報が寄せられた場合
- 公益通報者と連絡が取れず事実確認が困難である場合
同Q&Aはあわせて、解決済みかどうかは可能な限り客観的に判断する必要があること、連絡が取れない場合も事実確認が困難である実態が必要であり、匿名であることのみをもって調査を実施しない正当な理由には該当しないことを示しています。
ここで押さえるべき点は3つです。
第一に、これは公益通報者保護法上の内部公益通報についてのルールです。会社に入ってくるあらゆる不正情報に直接適用される一般的な調査義務ではありません。
第二に、指針は調査の名称や規模を定めていません。本記事でいう「予備確認」が、事案に応じた「必要な調査」の全部または一部となる場合もあります。予備確認の結果、正式調査へ進まない場合には、どの範囲を確認し、なぜ追加調査が不要と判断したのかを説明できるよう記録することが重要です。一方、そもそも調査を実施しない場合には、指針上の「正当な理由」があるかを確認する必要があります。
第三に、受付時点では公益通報に当たるか判断できないことが多い点です。冒頭のメールも、送信者が従業員等であれば、背任等に関する内部公益通報に当たり得ます。消費者庁「事業者における通報対応に関するQ&A」Q11は、当初公益通報ではないと判断した通報が後に要件を満たしていたと判明した場合、通知や調査をしていなければ法3条3号の外部通報(いわゆる3号通報)の保護要件を満たす可能性があるとし、該当性にかかわらず必要に応じて通知や調査を行う運用を示しています。なお、法3条3号ホの「20日」は外部通報の保護要件であり、会社の法定回答期限ではありません(該当性の判断は第3話、匿名情報の評価は第2話)。
② 内部公益通報に当たらない一般の不正情報|法的義務と望ましい実務を分ける
公益通報の主体に当たらない者からの情報、通報対象事実に当たらない規程違反、監査の中で浮上した疑義などは、法定指針の調査ルールの外にあります。それでも会社として調べるべき場合は少なくありません。消費者庁「事業者における通報対応に関するQ&A」Q1は、内部公益通報に該当しない通報についても、コンプライアンスやリスク管理の観点から、受付・調査・是正に必要な措置等をとるなど、可能な限り法の規定に準じて対応することが望ましいとしています。同Q9も、公益通報の主体以外からの通報であっても、重大性や切迫性などに応じて適切に対応することが重要だとしています。
ただし、これは「望ましい」という位置付けで、すべての情報について正式調査を義務付けるものではありません。他方、次のような別の根拠から確認が求められる場面はあります。
- 業法・安全関係法令など個別法上の報告・是正の仕組み(行政報告の判断は第9話)
- 会社法上の内部統制システム(会社法362条4項6号、会社法施行規則100条1項各号の「損失の危険の管理に関する規程その他の体制」「使用人の職務の執行が法令及び定款に適合することを確保するための体制」等。大会社である取締役会設置会社は決定が義務。会社法362条5項)
- 自社のコンプライアンス規程・内部通報規程・調査規程等で定めた手順
会社法の内部統制規定は体制の整備を求めるもので、直ちに「個々の疑惑について必ずこの方法で調査する法的義務」が導かれるわけではありません。ただし、自社が決定した体制・規程どおりに運用されていたかは、後から問われ得ます。
③ 上場会社の場合|JPX「不祥事対応のプリンシプル」
日本取引所自主規制法人の「上場会社における不祥事対応のプリンシプル」(2016年2月24日)は、自社(グループ会社を含む)に関わる不祥事又はその疑義が把握された場合には、必要十分な調査により事実関係や原因を解明し、その結果をもとに再発防止を図るという考え方を示しています。第一原則では、必要十分な調査範囲を設定したうえで、表面的な現象や因果関係の列挙にとどまらず、根本的な原因を解明するよう努めるとしています。
ただし、同プリンシプル自身が、法令や取引所規則等のルールとは異なり、上場会社を一律に拘束するものではないと明記しています。上場会社に強く期待される行動原則であり、非上場会社に法律上適用されるものでもありません。
同法人が2026年1月に公表した「内部統制強化・不祥事予防に向けたハンドブック」も、再発防止策を原因・目的ごとに分類した上場会社等向けの実務参考資料であり、法令ではありません。
注目したいのは、プリンシプルのいう「必要十分」が「最初から全部」ではなく、調査範囲の設定を前提にしている点です。
| 区分 | 主な根拠 | 性質 | 実務上の意味 |
|---|---|---|---|
| 内部公益通報 | 公益通報者保護法11条2項・3項、法定指針第4の1(3) | 法律に基づく体制整備義務の内容(300人以下は努力義務) | 正当な理由がない限り必要な調査。匿名であることだけでは不調査の理由にならない |
| 一般の不正情報 | 消費者庁Q&A、個別法、会社法上の内部統制、社内規程 | 望ましい実務+個別の根拠 | 重大性・切迫性に応じて確認・調査。調査しないなら理由を記録 |
| 上場会社 | JPX「不祥事対応のプリンシプル」 | 上場会社向けの行動原則(一律の法的拘束なし) | 必要十分な調査範囲を設定し、根本原因まで解明 |
「予備確認」と「正式調査」を分ける
本記事では、調査の入口を「予備確認」と「正式調査」に分けて整理します。どちらも法律上統一された法定用語ではなく、本記事で実務整理のために使う用語です。社内規程で「初期調査」「本調査」など別の名称を使っている場合は読み替えてください。
| 項目 | 予備確認 | 正式調査 |
|---|---|---|
| 目的 | 正式調査を始めるだけの根拠があるかを確認する | 事実認定、関係者の特定、法的評価、原因分析、是正・再発防止 |
| 典型的な作業 | 指摘された取引・請求書の実在確認、担当者の確認、データ保存状況の確認、過去の通報・監査指摘との照合 | メール・チャット調査、関係者ヒアリング、会計・取引データ分析、契約・稟議確認、必要に応じデジタルフォレンジック、法的評価 |
| 対象範囲 | 狭く絞る(指摘された取引・期間が中心) | スコープメモで設定し、証拠に応じて更新 |
| 主な資料 | 会社が保有する客観資料 | 客観資料+供述 |
| 対象者への接触 | 原則として急がない | 資料確認・保全の後に計画的に行うことが多い |
| 期間 | 短期間。社内で期限を区切る | 事案の規模に応じて計画 |
| 開始の決定 | 社内規程上の権限に従って開始(正式調査より簡易な承認手続としている企業もある) | 社内規程・事案の重大性に応じ、適切な権限者が開始・体制・スコープを決定 |
| アウトプット | 正式調査に進むか否かの判断メモ | 調査報告書、是正・再発防止策 |
予備確認には3つの注意点があります。
- 対象者に気付かせないこと。関係部署に「○○社の件で資料を」と依頼すれば、それ自体が情報漏れになります。システムから直接抽出できる資料を優先します。
- 予備確認の名目で、当初想定した範囲を超えて調査を拡大しないこと。大量のメール・チャットの閲覧、多数の関係者へのヒアリング、端末解析等まで必要になった場合には、予備確認の延長として漫然と実施せず、調査目的・範囲・権限・担当体制を改めて整理し、正式調査へ移行するかを判断します。両者の境界は、作業の種類ではなく、規模・侵襲度・目的で考えます。
- 期限を区切り、結論を記録すること。「確認中」のまま漫然と続くと、証拠が失われたり被害が続いたりします。
冒頭の事例なら、予備確認は例えば次の範囲になります。
- ○○社との過去1年分の見積・発注・請求・支払データの抽出
- 見積額と他社見積・過去単価との比較
- 起票者・承認者の特定と、担当期間の確認
- ○○社の振込先口座や取引条件の変更履歴
- 過去の通報・内部監査指摘・会計監査人の指摘の有無
内部公益通報に当たり得る場合は、通報者を特定させる情報を必要最小限の範囲でしか共有しないよう注意してください(公益通報対応業務従事者の守秘義務。法12条)。
社内調査を始める6つの判断軸
調査を始めるかどうか、どの段階の対応をとるかは、次の6軸で整理します。どれか1つで機械的に決まるものではなく、組合せで判断します。
①情報の具体性
部署、人物、時期、金額、取引先、手口、資料名などがどこまで特定されているかを見ます。ただし、具体性が低いから直ちに調査不要ではありません。「購買部」「5%」「昨年から」「○○社」は、人物が不明でも確認の入口としては十分です。具体性は重大性との組合せで評価します。
②重大性
事実だった場合に、刑事罰、行政処分、許認可への影響、人命・安全、顧客被害、巨額損失、会計不正、経営陣関与、重大なレピュテーション毀損につながるかを見ます。
重大性が高いほど、少ない情報でも予備確認へ進む合理性が高まります。キックバックは刑事責任や取引価格を通じた会社の損失につながり得るため、重大性は高い部類です。
③検証可能性
会計データ、メール、チャット、稟議、契約書、システムログ、入退室記録、勤怠、取引記録などの客観資料から確認できるかを見ます(評価の詳細は第2話)。第5話での使い方はシンプルで、確認可能なら、まず狭く確認するです。冒頭の事例では○○社との取引データが手元にあり、「何もしない」を選ぶ理由はかなり弱くなります。
④継続性・緊急性
現在も続いている、人命・安全のリスクがある、顧客被害が拡大している、資金流出が続いている、法令違反状態が継続している、といった事情があるかを見ます。
緊急性が高い場合は、正式調査の開始決定を待たずに、安全確保、証拠保全、権限の一時的な見直し、問題行為の停止などを検討する必要があります。ただし、ここで行うのは被害拡大を防ぐための暫定的なリスク管理措置であり、対象者の違反を認定した懲戒的な措置とは区別します(後述)。
⑤証拠散逸リスク
メールの保存期間が近い、端末の交換予定がある、対象者が疑惑に気付いている、退職予定がある、データが上書きされる、紙資料の廃棄時期が近い、といった事情があるかを見ます。
決裁を待つ間に資料がなくなることがあるため、散逸リスクが高い場合は開始判断と切り離して保全を先行させます(方法とタイミングは第6話)。
⑥関与者・経営陣の範囲
担当者個人か、部長か、複数部署か、子会社か、経営陣か。関与が疑われる範囲によって、調査の規模だけでなく誰が調査開始を決めるべきかが変わります。経営陣の関与が疑われる場合、通常の報告・決裁ルート自体が機能しない可能性があります(後述、詳細は第8話)。
不正疑惑の調査開始判断マトリクス
①具体性・②重大性・③検証可能性の3軸で、初動の目安を整理すると次のようになります。
| 情報の具体性 | 重大性 | 検証可能性 | 初動の目安 |
|---|---|---|---|
| 具体的 | 高 | 高 | 速やかに予備確認。結果により正式調査へ |
| 具体的 | 高 | 低 | 保全、追加情報の収集、周辺資料の確認 |
| 具体的 | 低 | 高 | 限定的な確認で処理できる場合がある |
| 不具体 | 高 | 高 | 重大リスクに絞った予備確認 |
| 不具体 | 高 | 低 | 安全等の確認、追加情報の取得、再評価 |
| 不具体 | 低 | 低 | 記録・保全し、追加情報待ちも選択肢 |
冒頭の事例は、人物は不明でも取引先と手口は特定され、重大性が高く、取引データで検証可能です。1行目と4行目の中間に位置し、「○○社取引に絞った予備確認」が出発点になります。注意点は3つです。
- 法定の数値基準ではありません。点数化して機械的に「調査不要」とする使い方はしないでください。
- ④緊急性・⑤証拠散逸リスク・⑥経営陣関与はマトリクスより優先します。該当すれば表の結論にかかわらず安全確保や保全を先行させます。
- 内部公益通報に当たり得る場合は指針の観点を重ねます。確認を行わずに「追加情報待ち」とする場合は、「正当な理由」(事実確認が困難である実態など)を記録します。
3段階で考える|記録・予備確認・正式調査
入口判断は、次の3段階で考えると社内で共有しやすくなります。この3段階モデルは法律上の分類ではなく、LegalGPT独自の実務整理です。
→ 情報を保存し、再通報・関連情報があれば再評価
→「何もしない」と「正式調査」の間に置く
→ 調査スコープを設定し、証拠に応じて更新
要になるのはLEVEL 2です。いきなりLEVEL 3へ飛ぶと過剰調査になりやすく、LEVEL 1にとどめると確認できたはずの不正を見逃します。なお、重大な安全リスクや経営陣関与が具体的に示されている場合は、LEVEL 2を経ずにLEVEL 3の判断(または調査体制の再検討)へ進むこともあります。
「証拠がないから調査しない」はなぜ危険?
通報者が決定的な証拠を持っているとは限らず、社内資料を適法・適切に持ち出せない事情もあり得ます。キックバックのような不正は、会社が保有する会計記録、メール、チャット、システムログ、稟議を確認して初めて、単価の不自然な上昇や承認経路の偏りといった裏付けが見つかる場合が少なくありません。
したがって、
- 「証拠が添付されていない」=「調査の必要がない」ではありません。
- 一方で、「疑惑が書かれている」=「正式調査を開始する」でもありません。
この間に置くのが、証拠を探すための限定的な予備確認です。証拠は通報者から提供されるのを待つものではなく、会社が自らの資料の中に探しに行くものです。
正式調査の範囲はどう決める?
正式調査を始めるとしても、「会社全体を全部調べる」設計は避けます。コストが膨らむだけでなく、焦点がぼやけ、期間が延び、情報漏れのリスクも増えるからです。
調査範囲(スコープ)は、次の7要素に分けて設定します。
| 要素 | 設定の考え方 | 冒頭事例の第1段階 |
|---|---|---|
| 対象行為 | 疑われている行為を具体的に定義する | 見積額の一部を担当者個人へ還流させる行為 |
| 対象者 | 行為者候補と、承認・監督の立場にある者 | ○○社取引の起票者・承認者 |
| 対象部署 | 行為が行われた可能性のある部署 | 購買部(○○社担当チーム) |
| 対象会社 | 当社のみか、子会社・関係会社を含むか | 当社のみ |
| 対象期間 | 指摘された期間を起点に設定 | 通報で指摘された過去1年 |
| 対象取引 | 指摘された取引先・取引類型 | ○○社との全取引 |
| 対象データ | 確認する資料・データの種類 | 見積、稟議、発注、請求、支払、関連メール・チャット |
ポイントは、調査範囲は固定ではなく、証拠に応じて更新するという点です。第1段階の範囲で確認を進め、別の取引先にも同じパターンが見つかる、前任者の時代から続いている、上司も関与している、別拠点でも同じ運用がある、といった事実が判明すれば、そのつど範囲を拡張します。
逆に言えば、最初のスコープで「今回調べないこと」を明確にしておくことが、後の拡張判断の基準になります。
調査範囲を広げる6つのトリガー
| 調査中に判明した事項 | 拡張する対象 | 追加で検討すること |
|---|---|---|
| 同じ手口の別取引を発見 | 対象取引 | 同一担当者の他の取引先への横展開 |
| 前年度にも同様の記録 | 対象期間 | データの保存期間と保全の追加 |
| 上司の承認メール・指示を発見 | 対象人物 | 報告ラインの見直し、調査体制の利益相反 |
| 子会社でも同じ運用 | 対象会社 | 子会社側の規程・調査権限の確認 |
| 他拠点から同種の通報 | 対象部署・拠点 | 情報源の秘匿、通報間の符合の評価 |
| 経営陣関与をうかがわせる資料 | 調査ルートそのもの | 通常ルートでの継続の可否を再検討(第8話) |
ただし、調査範囲は無限に広げるものでもありません。拡張のたびに次の3点を確認します。
- 当初の疑義との関連性があるか(同じ手口・同じ人物・同じ承認ルートなど)
- 拡張について、スコープメモを更新し権限者の承認を得たか
- 当初疑義と関連性の薄い別の問題が見つかった場合、別件として切り出す方が適切ではないか
「ついでに購買部全体の経費も」という拡張は、関連性を説明できなければ避けるべきです。対象者のプライバシーや業務負担との関係でも、拡張には理由が必要です。
途中で調査を終了・縮小してよい場合
調査は、始めたら必ず最大規模まで続けなければならないものではありません。例えば次の場合には、調査の終了や縮小を判断することがあり得ます。
- 指摘された取引自体が存在しない
- 客観資料により、疑惑の前提となる事実が明確に否定された
- 合理的な確認を尽くしたが、追加の調査の端緒がない
- 追加情報の入手可能性がなく、これ以上確認できない
ここで必ず区別すべきなのが、「証拠が見つからなかった」と「不正がなかった」は同じではないという点です。
| 表現 | 意味 | 使える場面 |
|---|---|---|
| 確認した範囲では、不正を裏付ける資料は確認できなかった | 調査範囲と方法を前提とした結論 | 調査を尽くしたが端緒がない場合 |
| 疑惑の前提事実(指摘された取引)は存在しなかった | 特定の事実が客観資料で否定された | 前提事実が明確に否定された場合 |
| 不正は存在しなかった | 不存在の断定 | 通常、社内調査の結論としては慎重であるべき表現 |
終了・縮小の際は、「何を、どの範囲・方法で確認したか」と「どのような情報があれば再開するか」を記録します。
調査しない判断も記録する
正式調査を開始しないと判断する場合も、最低限次の事項を記録してください。
- 受領した情報(受領日時・経路・原文の保存場所)
- 情報の具体性と重大性の評価
- 確認した資料と予備確認の結果
- 調査しない理由
- 判断者と判断日
- 再評価の条件
例えば、次の記録では不十分です。
匿名で証拠がないため調査しない。
一方、次のような記録であれば判断過程を説明できます。
対象部署・行為・期間が特定できず、返信手段もない。過去の監査指摘・通報との符合もなく、確認可能な客観資料を特定できないため、現時点では正式調査を開始しない。ただし、同種の情報が再度寄せられた場合や、対象を特定できる情報が得られた場合には再評価する。
内部公益通報に当たる場合には、この記録は、必要な調査をどこまで実施したか、また調査自体を行わなかった場合には「正当な理由」があったかを後から確認する資料になります。法定指針も、内部公益通報への対応に関する記録の作成と適切な期間の保管を求めています(指針第4の3(3)イ)。
調査中の暫定措置と懲戒を分ける
重大な疑惑では、調査中に被害拡大を防ぐ措置が必要になります。
- 支払権限・発注権限の一時的な変更
- 承認者の追加(ダブルチェック)
- 対象取引の一時停止
- 重要データへのアクセス制限
- 安全上問題のある業務の停止
これらは「不正を認定した」という意味ではなく、被害拡大防止・証拠保全・安全確保のためのリスク管理措置として設計します。説明でも処分を連想させる表現は避けます。
配置転換や自宅待機など人事上の不利益が生じる措置は、就業規則等の根拠、必要性、相当性、期間、賃金の取扱いを確認し、調査前の懲戒と実質的に同じにならないよう注意します。「疑わしいから外す」ではなく「この権限を、この期間、この理由で一時的に見直す」と説明できる設計にします。
対象者へのヒアリングはいつ行う?
第5話では、調査設計の中でいつヒアリングへ進むかという観点で整理します。多くの事案で合理的なのは次の順序です。
早期の照会には、証拠の削除、口裏合わせ、通報者の探索といったリスクがあり、その場合は客観資料の確認を先行させます。一方、安全確認のため本人への即時確認が必要な場合もあります。順序は一律のルールではなく、事案ごとにリスクを比較して決めます。ヒアリングは違反を前提にした追及ではなく、事実確認の場として設計します。
経営陣が関与している可能性がある場合
通報に「社長も知っている」「取締役が指示している」「監査部門も認識していた」といった記載がある場合、通常の「法務部 → 担当役員 → 経営会議」のルートでは、関与が疑われる者が調査の要否や範囲を決める立場に立ち、独立性を確保できないことがあります。
つまり、経営陣関与の可能性は、調査を始めるかどうかだけでなく、「誰が調査開始を決めるか」を変えます。
内部公益通報について、法定指針は組織の長その他幹部に関係する事案での独立性確保措置を求めており(指針第4の1(2))、消費者庁「内部公益通報対応体制の整備に関するQ&A」Q14は社外取締役や監査機関への報告、そのモニタリングを受けながらの対応などを例示しています。
どの機関に報告し、第三者委員会を検討すべきかは事案によって異なり、経営陣が疑われたら必ず第三者委員会を設置しなければならないわけではありません(詳細は第8話)。調査担当は、利益相反のない適切な担当者・部署を選ぶことが出発点です(詳細は第7話)。
3つのケースで調査開始判断を比較
同じような情報量でも、重大性や検証可能性によって判断は変わります。
- 具体性:低い(行為・人物・時期が不明)
- 重大性:不明
- 検証可能性:確認対象を特定できない
判断例:記録・保存し、過去の通報・監査指摘との符合を確認。返信手段があれば取引・時期を質問します。直ちに大規模な正式調査までは不要な場合が多いと考えられますが、再評価条件を記録します。
- 具体性:高い
- 検証可能性:高い(伝票・請求書・検収記録で確認可能)
判断例:伝票、請求書、検収記録、稟議を限定的に確認。検収の実態がない等の不自然な点があれば正式調査へ移行し、前提事実が明確に否定されれば記録して終了することもあり得ます。
- 具体性:やや低い(工場・設備の特定が不十分)
- 重大性・緊急性:高い(人命・安全)
判断例:事実確定を待たず安全確認を優先。稼働・点検記録を保全し、必要に応じて正式調査へ進みます。ケースAと情報量は大差なくても、重大性と緊急性が判断を変えます。
実務で使える「社内調査スコープメモ」
調査開始時と範囲変更時に作成する記録の例です。特に「今回調査しない事項」と理由は、「なぜその部署まで調べなかったのか」と問われたときの説明資料になります。
| 項目 | 記入欄 | 記載例(冒頭事例) |
|---|---|---|
| 調査開始日 | 2026年○月○日 | |
| 調査開始の根拠情報 | 法務部共有アドレス宛て匿名メール(原文保全済み) | |
| 疑われている行為 | 見積額の一部を担当者個人へ還流させる行為 | |
| 適用法令候補 | 刑法上の背任罪、就業規則・購買規程違反 等 | |
| 重大性 | 高(刑事責任・会社の損失の可能性) | |
| 緊急性 | 中(取引継続中。資金流出の継続可能性) | |
| 対象会社 | 当社 | |
| 対象部署 | 購買部○○社担当チーム | |
| 対象人物 | ○○社取引の起票者・承認者 | |
| 対象期間 | 2025年○月~現在(通報の指摘期間) | |
| 対象取引 | ○○社との全取引 | |
| 対象データ | 見積、稟議、発注、請求、支払、関連メール・チャット | |
| 予備確認で判明した事項 | 同社の見積単価が前年比で上昇、承認者が固定 | |
| 今回調査する事項 | 単価上昇の経緯、担当者と同社の連絡状況 | |
| 今回調査しない事項 | ○○社以外の取引先、他部署 | |
| 調査対象外とした理由 | 現時点で当初疑義との関連を示す情報がないため | |
| 証拠保全の範囲 | 対象者のメールボックス、購買システムのログ | |
| 調査体制 | 利益相反のない担当者で構成(詳細は第7話) | |
| 次回スコープ見直し時点 | 取引データ分析完了時/新たな事実判明時 | |
| 最終承認者 | 社内規程上の権限者 |
範囲を変えるたびに版を改め、旧版も保存しておくと、範囲変更の根拠を後から追えます。
不正疑惑を受けたときの調査開始フロー
YES → 正式調査へ
NO → 終了/追加情報待ち(理由と再評価条件を記録)
NO → 重大性は高いか?
高い → 周辺確認・必要最小限の調査
高くない → 記録して追加情報待ちも選択肢(理由と再評価条件を記録)
やってはいけない9つの調査開始判断
| やってはいけない判断 | なぜ危険か |
|---|---|
| 1. 匿名だから調査しない | 匿名は信用性評価の一要素にとどまります。内部公益通報では、匿名であることのみでは調査しない正当な理由になりません。 |
| 2. 証拠が添付されていないから調査しない | 裏付けは会社の資料の中にあることが多く、確認手段があるなら確認するのが基本です。 |
| 3. 告発が来た以上、最初から全社調査する | 焦点がぼやけ、コストと情報漏れのリスクが増えます。狭く始めて証拠に応じて広げます。 |
| 4. 調査開始前に対象者へ「本当か」と聞く | 証拠の削除、口裏合わせ、通報者の探索を招くおそれがあります。 |
| 5. 通報者の人格評価で結論を決める | 「あの人は会社に不満がある」は、通報内容の真偽とは別問題です。判断軸は内容の検証可能性です。 |
| 6. 調査範囲を一度決めたら変更しない | 新たな事実が出ても範囲を広げなければ、見逃しの説明ができません。 |
| 7. 調査しない理由を記録しない | 記録がなければ、合理的な判断をしていても後から証明できません。 |
| 8. 不正が確定していない段階で対象者を懲戒扱いする | 暫定措置は被害拡大防止のためのものです。懲戒と同視される措置は、後の紛争リスクになります。 |
| 9. 経営陣関与の疑いがあるのに通常ルートで調査開始を決める | 関与が疑われる者が調査の要否や範囲を決めることになり、調査の独立性が失われます。 |
まとめ|「調査するか」ではなく「どこまで確認するか」から考える
- 一律の法的調査義務はない。ただし内部公益通報では、正当な理由がない限り必要な調査が求められ、匿名であることのみでは正当な理由にならない。
- 入口判断は6軸(具体性・重大性・検証可能性・継続性/緊急性・証拠散逸リスク・関与者の範囲)で整理する。
- 「記録/予備確認/正式調査」の3段階で考え、予備確認を「何もしない」と「正式調査」の間に置く。
- 調査範囲は7要素に分解して設定し、証拠に応じて拡張・縮小する。
- 「調査しない」「終える」判断も記録する。「証拠が見つからなかった」と「不正がなかった」は区別する。
冒頭のメールでいえば、正解は○○社との取引に絞った予備確認から始め、結果に応じて範囲を決めることです。そして予備確認と並行して検討すべきなのが、証拠をいつ、どこまで確保するかです。
よくある質問(FAQ)
Q.匿名通報でも社内調査をしなければなりませんか?
A.内部公益通報に当たる場合、匿名であることのみでは調査しない正当な理由になりません。当たらない場合も、匿名だけで確認を省略せず、具体性・重大性・検証可能性に応じて判断します。
Q.証拠が添付されていない場合でも調査しますか?
A.会社の資料で確認できる内容であれば、まず限定的な予備確認を行うのが基本です。証拠添付の有無は、調査の要否を決める決定的な要素ではありません。
Q.予備確認と正式な社内調査は何が違いますか?
A.予備確認は正式調査の根拠があるかを客観資料中心に短期間で確認するもの、正式調査は事実認定・法的評価・原因分析まで行うものです(いずれも本記事の実務整理)。
Q.調査範囲はどこまで広げるべきですか?
A.当初の疑義に即して範囲を設定し、同じ手口の別取引や上位者の関与などが判明した段階で、関連性を確認しながら拡張します。
Q.調査して証拠が出なかった場合は「不正なし」としてよいですか?
A.通常は「確認した範囲では不正を裏付ける資料は確認できなかった」と表現するのが適切です。調査範囲と方法を明示し、再開の条件も記録しておきます。
Q.調査しないと判断した場合、何を記録すべきですか?
A.受領した情報、具体性・重大性の評価、確認した資料と結果、調査しない理由、判断者、判断日、再評価条件です。「匿名で証拠がない」だけの記録では不十分です。
調査を始めるかどうかを決める前に、証拠が消えてしまっては判断そのものができません。第6話では、メール・チャット・PC・紙資料をいつ、どこまで、どのように確保するかを解説します。
第6話「企業不祥事の証拠保全|メール・チャット・PCをいつ確保する?」を読む参考資料・一次資料
※法令・資料の内容は2026年9月5日時点で確認しています。消費者庁Q&Aの設問番号は、令和2年改正後のQ&A掲載ページ(「内部公益通報対応体制の整備に関するQ&A」)の表記によります。同ページでは、Q15が外部の弁護士等を配置した窓口、Q16が「正当な理由」と匿名の扱い、Q17が通報者の意向に反する調査に関する設問です。
法令
- 公益通報者保護法(平成16年法律第122号)/e-Gov法令検索
https://laws.e-gov.go.jp/law/416AC0000000122 - 会社法(平成17年法律第86号)362条4項6号・5項/e-Gov法令検索
https://laws.e-gov.go.jp/law/417AC0000000086 - 会社法施行規則(平成18年法務省令第12号)100条/e-Gov法令検索
https://laws.e-gov.go.jp/law/418M60000010012
消費者庁|現行制度(2026年12月1日施行前)
- 公益通報者保護法第11条第1項及び第2項の規定に基づき事業者がとるべき措置に関して、その適切かつ有効な実施を図るために必要な指針(令和3年内閣府告示第118号。法定指針)
- 公益通報者保護法に基づく指針(令和3年内閣府告示第118号)の解説(令和3年10月)
https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_partnerships/whisleblower_protection_system/overview/assets/overview_211013_0001.pdf - 内部公益通報対応体制の整備に関するQ&A(令和2年改正後のQ&A)
https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_partnerships/whisleblower_protection_system/faq/faq_007 - 事業者における通報対応に関するQ&A(令和2年改正後のQ&A)
https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_partnerships/whisleblower_protection_system/faq/faq_009 - 公益通報者保護法と制度の概要(法定指針・指針の解説の掲載ページ)
https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_partnerships/whisleblower_protection_system/overview/
消費者庁|2026年12月1日以降の制度(施行前の公表資料)
- 公益通報者保護制度Q&A(令和8年5月29日公表。原則令和8年12月1日施行の改正法を前提)
https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_partnerships/whisleblower_protection_system/faq - 改正後の法定指針・指針の解説(2026年3月31日公表) 上記「公益通報者保護法と制度の概要」ページ参照
上場会社関係
- 日本取引所自主規制法人「上場会社における不祥事対応のプリンシプル」(2016年2月24日)
https://www.jpx.co.jp/regulation/listing/principle/index.html - 日本取引所自主規制法人「内部統制強化・不祥事予防に向けたハンドブック-体系化した再発防止策から学ぶ着眼点-」(2026年1月)
https://www.jpx.co.jp/regulation/listing/handbook/index.html
本記事は一般的な情報提供を目的としており、個別事案についての法的助言ではありません。具体的な事案については、事実関係を踏まえて専門家に相談してください。
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