この記事の実務版
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訴訟対応で最初にやるべきことの一つは、関係する資料を消さないことです。地味に思えるかもしれませんが、これがとても重要です。訴訟では、後から必要になったメールや資料が「もう見つからない」という事態が、しばしば大きな問題になります。

証拠は、探す前にまず失わないこと。この初動の保全対応を、一般に「訴訟ホールド」と呼びます。この記事では、訴訟ホールドとは何か、法務担当者が社内でどう動くべきかを、初心者向けに整理します。

初動全体の流れは第4話「訴訟対応の初動チェックリスト」、全体像は第1話「訴訟対応とは何か」で扱っています。

この記事でわかること

  • 訴訟ホールドの意味(米国の litigation hold との違いを含む)
  • なぜ資料を消さないことが重要なのか
  • 対象になる資料・データと、保全を始めるタイミング
  • 現場部門・情報システム部門・弁護士との連携の進め方
  • やってはいけないこと、解除のタイミング

実務メモ
この記事の内容を、毎回ゼロから考えないために。
法務実務で効くのは、知識そのものよりも"再現できる型"です。記事で読んだ確認観点・依頼文・回答メモ・マスキングを次の案件でそのまま引き出せる形に残しておくと、判断と説明の質が一段安定します。
確認観点をチェックリスト化する
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訴訟ホールドとは何か

訴訟ホールドとは、訴訟や紛争に関係する資料・データを、削除・上書き・廃棄しないようにする社内の保全対応のことです。英語の「litigation hold(リティゲーション・ホールド)」に由来する言葉です。

注意:米国の制度をそのまま前提にしない
litigation hold は、もともと米国の民事訴訟にある「ディスカバリー(証拠開示)」という広範な証拠開示手続を背景にした考え方です。日本の民事訴訟にはディスカバリーの仕組みはなく、米国と同じ訴訟ホールド義務がそのまま課されるわけではありません。本記事では、米国の制度をそのまま輸入するのではなく、日本企業の法務実務として「関係資料を不用意に失わないための保全対応」という意味で「訴訟ホールド」という言葉を使います。

大切なのは、訴訟ホールドが「証拠を都合よく集める作業」ではないという点です。あくまで、関係しそうな資料を、いったんそのままの状態で保全しておくための対応です。不利に見える資料も含めて残すことが前提になります。

なぜ訴訟ホールドが必要なのか

「消さない」だけのことが、なぜ重要なのでしょうか。理由を整理します。

  • 後から証拠が必要になる:答弁書や準備書面の検討で、当時のやり取りが必要になります。
  • メールやチャットは自動削除されることがある:保存期間の設定で、放っておくと消えるデータがあります。
  • 現場が重要性に気づかず消すことがある:悪意なく、整理のつもりで消えてしまうことがあります。
  • 契約書だけでは事実経過がわからない:経緯はメールや議事録に残っていることが多いものです。
  • 証拠が失われると、弁護士が反論を組み立てにくくなる:材料がなければ主張も弱くなります。
  • 社内説明・経営判断にも資料が必要:報告や和解判断の土台になります。
  • 削除・改ざんを疑われると、信用性の問題になり得る:資料が不自然に欠けていると、会社の説明の信頼性に影響することがあります。

参考|「消すと不利になり得る」場面
日本の民事訴訟にも、相手方や第三者が持つ文書の提出を裁判所が命じる文書提出命令の制度があります(民事訴訟法220条以下)。仮に相手方の使用を妨げる目的で文書を滅失させるなどした場合には、その文書に関する相手方の主張が真実と認められ得るとされています(民訴法224条)。細かい要件は弁護士の領域ですが、「不利だから消す」は、かえって会社の立場を悪くしかねないという点は、初動段階で押さえておきたいところです。

① きっかけ発生(訴状・内容証明など)
② 対象案件・関係者・資料の特定
③ 保存指示(削除・上書き・自動消去の停止)
④ 指示内容の記録化
⑤ 弁護士と範囲を確認・調整
⑥ 紛争終了後に解除を判断

訴訟ホールドの対象になる資料・データ

対象は契約書や紙資料だけではありません。メール・チャット・クラウド上のデータ・システムの記録まで、幅広く対象になり得ます。

分類 主な資料・データ
契約・取引契約書、注文書・発注書、見積書、納品書・検収書
請求・支払請求書
やり取りメール、チャット、交渉記録、通話メモ
社内記録社内メモ、議事録、稟議資料、承認記録
データ・システムクラウドストレージ上の資料、共有フォルダ、システムログ、CRM・案件管理システムの記録
その他紙ファイル、バックアップデータ

訴訟ホールドを開始すべきタイミング

訴状が届いてからとは限りません。紛争の予兆が見えた段階で始めることが望ましい場合もあります。

きっかけ 補足
訴状が届いたとき訴訟が現実化。すみやかに保全を開始
内容証明郵便が届いたとき紛争化の予兆。資料保全を検討
相手方から明確な請求・警告争いが具体化する兆候
弁護士名で通知が届いたとき法的対応に移行する可能性が高い
紛争が深刻化し訴訟可能性が具体化交渉決裂など、見通しが変わったとき
社内調査で訴訟リスクが判明内部からリスクが見えた場合

ただし、対象を広げすぎると業務負荷が重くなり、管理も難しくなります。どこまでを対象とするかは、弁護士と相談しながら決めるのが安全です。

法務担当者が最初に行うべき訴訟ホールド対応

初動の動き方を、時系列で整理します。一気に完璧を目指すより、まず「消さない」状態を作り、後から範囲を調整するのが現実的です。

順番 やること
対象案件を特定する
関係部署を特定する
関係者を洗い出す
保存対象資料を仮決めする
情報システム部門に削除・自動消去設定を確認する
関係者に資料削除・上書き禁止を通知する
共有フォルダ・クラウドのアクセス権を確認する
証拠候補の一覧を作る
いつ誰に何を指示したかを記録する
弁護士と保存範囲を確認する

特に⑨の「指示の記録化」は重要です。いつ・誰に・何を依頼したかを残しておくと、後から「適切に保全していた」ことを示しやすくなります。

社内向け訴訟ホールド通知に入れるべき内容

関係者に資料保存を依頼するときは、口頭だけでなく、記録に残る形(メールや文書)で伝えます。盛り込みたい項目は次のとおりです。

項目 内容
対象案件名どの案件に関する依頼か
対象期間いつからいつまでの資料か
対象部署・対象者誰に向けた依頼か
保存対象資料メール・チャット・契約書など
削除・上書き禁止の指示対象資料を変更・削除しないこと
自動削除設定の停止依頼必要に応じ情シスと連携
個人判断で廃棄しない旨迷ったら捨てない
発見時・問い合わせの連絡先法務の担当窓口
社外共有をしない旨情報管理上の注意
通知日・対応期限いつの依頼か、いつまでに対応か

通知文の表現や対象範囲は案件ごとに異なります。実際に通知を出す際は、表現・範囲・対象者を弁護士と相談のうえ、自社の情報セキュリティ規程・文書管理規程とも整合させてください。

情報システム部門と連携して確認すべきこと

メールやチャット、クラウド上のデータは、システム面の協力がないと保全しきれません。情報システム部門と次の点を確認しましょう。

確認事項 ポイント
メール・チャットの保存期間いつまで保持されるか
自動削除設定必要なら停止を検討
退職者アカウントの扱い関係者が退職している場合の確認
共有フォルダの変更履歴上書き・削除の履歴
クラウドの版管理過去バージョンの保持状況
バックアップ・ログの保持期間いつまで遡れるか
アクセス権限誰が閲覧・編集できるか
エクスポート方法どう取り出すか
証拠性を損なわない取得方法取得方法・日時を記録
個人情報・機密情報の取扱い取扱範囲・管理方法に配慮

現場部門に伝えるべきこと

現場には、「整理のつもりで消さない」ことを、わかりやすく伝えます。難しい説明より、具体的な禁止行動を挙げるほうが伝わります。

現場に伝えること
資料を勝手に整理・削除しない
関係メールを個人判断で消さない
チャット履歴を削除しない
紙資料を廃棄しない
ファイル名や内容を不用意に変更しない
感情的なコメントを新たに書き込まない
相手方に不用意に連絡しない
見つけた資料は法務部に共有する
わからない場合は法務部に確認する
法務部(保全の旗振り役)
↓ 連携 ↓
現場部門
資料を消さない
情報システム部門
データ・ログの保全
弁護士
範囲・方法の助言

訴訟ホールドでやってはいけないこと

やってはいけない対応 なぜ問題か
不利な資料を削除するかえって立場を悪くし、信用性も損なう
資料を上書きする元の状態が失われる
ファイル名や日付を改変する改ざんと疑われ得る
転送だけして原本管理をしない元データの保全が抜ける
口頭だけで保存依頼をする記録が残らず、徹底もされにくい
情報システム部門に連絡しない自動削除でデータが消えるおそれ
保存対象を狭く決めすぎる重要証拠を取りこぼす
必要以上に広げ管理不能にする業務負荷が高まり徹底できない
個人情報・営業秘密を無制限に共有情報管理上のリスク
弁護士に不利な資料を見せない適切な検討ができなくなる
終了後も解除を判断しない保存が際限なく続き管理が形骸化

訴訟ホールドの対象範囲をどう決めるか

範囲設定は、「広すぎると業務負荷が高い」「狭すぎると重要証拠を失う」のバランスです。次の観点を組み合わせて、弁護士と相談しながら絞り込みます。

対象案件
×
対象者
×
対象資料
×
対象期間
この4つの掛け合わせで「保存範囲」を決めるイメージ
観点 考えること
案件どの取引・紛争に関するか
期間いつからいつまでの資料か
関係部署・関係者誰の手元に資料があるか
資料種類・システムどの資料・どのシステムが対象か
取引先・相手方誰との関係の資料か
請求内容・争点候補争いになりそうな事実に関わる資料か
弁護士との相談範囲の妥当性を確認する

訴訟ホールドと証拠保全・文書提出命令の違い

似た言葉が並ぶため、初心者は混同しがちです。「社内実務」なのか「裁判所の手続」なのかで整理すると分かりやすくなります。

用語 性質 ざっくり言うと
訴訟ホールド社内実務(法定の手続ではない)関係資料を消さないための社内の保全対応
証拠保全裁判所の手続(民訴法234条ほか)あらかじめ調べておかないと使用が困難になる証拠を、申立てにより先に調べておく手続
文書提出命令裁判所の手続(民訴法220条以下)提出義務がある文書について、裁判所が所持者に提出を命じる手続

本記事の「訴訟ホールド」は、このうち会社が自主的に行う社内実務を指します。証拠保全や文書提出命令といった裁判手続の要件・進め方は弁護士の専門領域です。混同せず、個別案件では弁護士に相談してください。文書提出命令との関係でも、資料を不用意に失わないことが会社の利益につながります。

訴訟ホールドと個人情報・機密情報管理

保存する資料には、個人情報・営業秘密・機密情報が含まれることがあります。「保全」と「情報管理」は両立させる必要があります。

  • アクセス権を必要な範囲に限定する:誰でも見られる状態にしない。
  • 共有先を絞る:関係者だけに限定する。
  • 外部弁護士との共有方法を確認する:安全な手段を選ぶ。
  • 送付方法・パスワード・クラウド共有を管理する:誤送信や流出を防ぐ。
  • 社内規程との整合性を確認する:情報セキュリティ規程・文書管理規程と矛盾しないか確認する。

訴訟ホールドを解除するタイミング

保全は永久に続けるものではありません。紛争が終わったら、解除してよいかを判断します。ただし、自己判断で消し始めるのではなく、弁護士と確認したうえで進めます。

解除を検討する場面 確認すること
訴訟・紛争が終了したとき本当に完全に終わったか
和解が成立したとき和解条項上の義務が残っていないか
判決が確定したとき控訴・上訴の可能性がないか
弁護士と確認したとき解除の可否を専門家に確認
社内規程と照らすとき通常の文書保存期間・管理規程との整合
解除通知を出すとき関係者へ解除を伝える場合がある

解除後も、通常の文書保存義務や社内の文書管理規程に従う必要があります。「解除=何でも消してよい」ではない点に注意してください。

よくある誤解

  • 「訴訟ホールドは米国企業だけの話」ではありません。日本でも、資料を不用意に失わない実務的な必要性は高いです。
  • 「契約書だけ保存すれば十分」ではありません。経緯はメール・議事録などに残っています。
  • 「メールやチャットは後から探せばよい」とは限りません。自動削除で消えていることがあります。
  • 「不利な資料は出さない方がよい」は誤りです。隠す対応はリスクを高めます。
  • 「現場が持っているから法務は関与しなくてよい」ではありません。保全の旗振りは法務の役割です。
  • 「情シスへの連絡は後でよい」とは限りません。連絡が遅れるとデータが消えることがあります。
  • 「終わっても保存指示を放置してよい」ではありません。解除の判断も必要です。
  • 「全社に広く通知すれば安全」ではありません。広すぎる通知は形骸化や情報管理上の問題を招きます。

第5話のまとめ

  • 訴訟ホールドは、関係資料を削除・上書き・廃棄しないための社内の保全対応です。
  • 日本企業では、米国法の制度をそのまま輸入するのではなく、証拠保全・文書管理・訴訟対応上の実務として理解します。
  • 法務担当者は、現場・情報システム部門・弁護士と連携し、保存対象と方法を整理します。
  • 証拠の隠蔽・削除・改ざんを防ぐためにも、初動での指示と記録化が重要です。
  • 役割分担は第12話「弁護士との役割分担」もあわせてどうぞ。

次回・第6話「訴訟対応で集める資料一覧|契約書・メール・請求書・議事録の探し方」では、保全した資料の中から、実際に何を・どう集めて整理するかを具体的に解説します。集めた資料を時系列に整理する方法は第7話「事実経過表の作り方」、相手の主張と対応づける整理は第8話「争点整理とは何か」、提出時の証拠説明書は第9話「証拠説明書とは何か」で扱います。

保存範囲・指示の「整理」を効率化

訴訟ホールドでは、関係資料・証拠・社内指示・保存範囲の整理が重要です。Legal GPTでは、法務実務に役立つテンプレート・プロンプト・実務支援ツールをご用意しています。これらは訴訟対応そのものを代替するものではなく、社内整理や検討メモの作成を補助する位置づけです。保存範囲や法的な判断は、必ず弁護士にご相談ください。

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シリーズ全20話のリンク一覧

「法務担当者のための訴訟対応実務20選」の全記事です。気になるテーマからお読みいただけます。保存版としてブックマークをどうぞ。

タイトル
第1話訴訟対応とは何か|会社の法務担当者が知っておくべき全体像
第2話訴状が届いたら最初に確認すること|訴状・呼出状・答弁書催告状の見方
第3話答弁書とは何か|提出期限・認否・初回期日までの実務対応
第4話訴訟対応の初動チェックリスト|社内共有・弁護士相談・期限管理
第5話訴訟ホールドとは何か|メール・チャット・資料を削除しないための対応(この記事)
第6話訴訟対応で集める資料一覧|契約書・メール・請求書・議事録の探し方
第7話事実経過表の作り方|訴訟対応で時系列を整理する方法
第8話争点整理とは何か|相手の主張・こちらの反論・証拠を対応させる
第9話証拠説明書とは何か|書証番号・作成者・立証趣旨の基本
第10話準備書面とは何か|弁護士ドラフトを法務が確認するときの見方
第11話認否とは何か|訴訟対応で「認める・否認する・不知」をどう確認するか
第12話弁護士との役割分担|法務・現場・経営陣は何を担当するか
第13話訴訟費用・弁護士費用の社内説明|予算・稟議・見通しのまとめ方
第14話訴訟中の社内報告書の作り方|経営会議・取締役会への報告ポイント
第15話和解協議の進め方|金額・条件・社内承認で見るべきポイント
第16話和解条項の読み方|清算条項・守秘義務・不履行時対応の基本
第17話尋問対応の基本|証人候補・陳述書・想定問答をどう準備するか
第18話判決が出た後の対応|控訴・支払・会計処理・社内説明
第19話こちらから訴えるときの準備|請求原因・証拠・回収可能性の検討
第20話訴訟対応チェックリスト|法務担当者が保存しておきたい実務一覧

参考情報

本記事は一般的な解説です。証拠保全・文書提出命令などの裁判手続や、電子データの取扱い、デジタル化の運用は事件や時期によって異なり得るため、実際の対応にあたっては最新の公式情報をご確認のうえ、弁護士にご相談ください。

※本記事は企業の法務担当者向けの一般的な情報提供を目的としたものであり、特定の事案に対する法的アドバイスではありません。保存範囲・裁判手続など個別の判断は弁護士にご相談ください。

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01
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