会社が訴訟を起こすかどうかは、単に相手方に腹が立つかどうかで決めるものではありません。訴訟提起には、法的根拠(請求原因)・証拠・費用・回収可能性・事業影響・社内承認が関係します。

法務担当者は、弁護士・現場・経理財務・経営陣をつなぎ、「そもそも訴えるべきか」の判断材料を整理する役割を担います。本記事では、会社が原告として訴える前に、社内で何を整理し、弁護士に何を相談し、経営陣にどう説明するかを整理します。

これまでは「訴えられる側」の対応を扱ってきました(全体像は第1話)。本記事は視点を変え、「こちらから訴える側」の準備に焦点を当てます。

この記事でわかること

  • 訴える前に整理すべき請求原因・証拠・請求金額・時効・管轄
  • 「勝てるか」と「回収できるか」は別問題であること
  • 相手方の資力・所在の確認方法、訴訟以外の選択肢
  • 費用対効果・社内承認・稟議の整理
  • 提訴前チェックリスト、各種整理表のテンプレート
事実整理
→
証拠整理
→
回収可能性
→
費用対効果
→
社内承認
→
提訴

こちらから訴える前に考えるべきこと

訴訟は紛争解決手段の一つであって、最初から唯一の選択肢ではありません。まず次の点を確認します。

考えるべきこと 補足
請求できる権利があるか法的根拠の有無
証拠があるか提出可能な形であるか
相手方に支払能力があるか回収可能性
費用対効果があるか見合う金額か
事業・評判・取引関係への影響許容できるか
社内承認を得られるか承認ルートの確認
弁護士と相談したか法的判断は弁護士へ

訴訟提起前の全体フロー

順番 ステップ
①問題発生・未回収・損害発生
②現場から法務へ相談
③事実経過の整理/証拠収集
④請求内容・請求金額の整理
⑤相手方の資力・所在確認
⑥弁護士相談
⑦訴訟以外の選択肢の検討
⑧費用対効果の検討
⑨社内報告・稟議
⑩訴訟提起方針決定/訴状作成・提出準備
⑪提訴後の対応計画

訴訟提起前に確認すべき基本項目

確認項目
相手方/請求内容/請求金額
法的根拠/請求原因/主要証拠
時効/管轄
相手方の所在/資力/回収可能性
訴訟費用/弁護士費用/社内工数
事業影響/評判リスク
社内承認ルート/代替手段

請求原因とは何か

請求原因とは、裁判所に一定の請求を認めてもらうために必要となる、事実関係の骨組みのことです。「なぜその請求が認められるべきか」を支える事実のことだと考えるとわかりやすいです。

請求の例 問題になり得る事実(例)
売買代金請求契約成立、商品の引渡し、代金額、支払期限、未払い
損害賠償請求契約違反または不法行為、損害、因果関係

どの事実が必要かは請求類型によって異なります。具体的な要件は弁護士に確認してください。法務担当者の役割は、請求原因を構成する事実を社内資料で裏付けることです。

請求類型ごとに確認すべきこと

請求類型 確認すべき事実(例) 主な証拠(例)
売買代金請求契約・引渡し・代金・未払い契約書・注文書・納品書・請求書
業務委託報酬請求委託契約・業務完了・報酬額契約書・成果物・検収書
貸金返還請求貸付・返済期限・未返済金銭消費貸借契約書・振込記録
損害賠償請求違反/不法行為・損害・因果関係契約書・損害資料・経緯記録
契約解除に伴う請求/原状回復解除事由・解除通知・原状回復義務契約書・通知書面
不当利得返還請求利益・損失・法律上の原因の有無入出金記録・経緯資料
秘密保持義務違反等義務の内容・違反・損害NDA・違反の証跡

※細かな要件は請求類型ごとに異なり、本表は概観です。実際の検討は必ず弁護士に確認してください。

証拠を整理する

訴える側は、自分の主張を裏付ける証拠を準備する必要があります。重要なのは、証拠が「あるはず」ではなく「実際に提出可能な形で存在するか」を確認することです。

確認すること
契約書・注文書・請求書・納品書・検収書が揃っているか
メール・チャット・議事録・稟議資料・システムログ
原本の所在と提出可能性
不利な証拠・相手方の反論に使われそうな資料の把握

資料の探し方は第6話「訴訟対応で集める資料一覧」を参照してください。

証拠整理表のテンプレート

No. 証拠名 資料種別 作成日 作成者 関連する事実 立証したい事項 原本/写し 不利な記載
1      原本/写し有/無
2      原本/写し有/無
3      原本/写し有/無

※「保管場所」「弁護士確認事項」「備考」欄を適宜追加してください。

事実経過表を作る

訴える側でも、時系列の整理は重要です。問題発生から現在までの流れを、日付・出来事・関係者・証拠と対応させて整理します。訴状作成、弁護士相談、社内報告、和解交渉のすべてに使えます。

列項目 記載例
日付出来事が起きた日
出来事契約・納品・請求・未払いなど
関係者担当者・相手方
対応する証拠契約書・メールなど

作り方は第7話「事実経過表の作り方」を参照してください。

相手方の反論を予測する

訴える前に、相手方がどう反論してくるかを想定しておくと、見通しが立てやすくなります。争点整理の考え方は第8話を参照してください。

想定される反論
契約は成立していない
納品・履行が不完全だった/検収していない
支払期限が到来していない
損害額が大きすぎる/自社にも落ち度がある
時効が成立している
相殺を主張する
解除・免責・不可抗力を主張する
証拠の信用性を争う

回収可能性を検討する

この記事で最も強調したい点です。「勝訴」と「回収」は別問題です。判決で勝っても、相手方に支払能力がなければ、お金は戻ってきません。

検討事項
相手方の資力/事業継続状況
登記情報・所在地/代表者・連絡先
支払意思/破産・倒産リスク
保有財産/売掛債権
担保・保証の有無
強制執行可能性/回収までの期間
回収コスト/回収不能リスク
勝訴可能性
×
回収可能性
×
費用対効果
×
事業影響
どれか一つが欠けても、訴訟提起の判断は変わり得る

相手方の資力・所在を確認する方法

相手方の状況は、適法な方法で確認します。違法・不適切な調査は行いません。

確認方法 補足
商業登記/不動産登記所在・代表者・登記事項の確認
取引履歴/支払遅延履歴自社内の記録
信用調査会社の信用情報帝国データバンク・東京商工リサーチ等
既存契約書・請求書記載情報連絡先・口座情報など
Webサイト・公表情報公開されている情報
弁護士への相談調査範囲・適法性の確認

時効・期限を確認する

請求権には消滅時効が問題になる場合があります。社内で放置しているうちに、時効リスクが高まることがあるので注意が必要です。

請求の種類 一般的な時効期間(例)
取引上の債権(売買代金・報酬・貸金等)権利を行使できることを知った時から5年、または権利を行使できる時から10年(民法166条1項)
不法行為に基づく損害賠償損害・加害者を知った時から3年、または不法行為の時から20年(民法724条)

民法改正により、職業別の短期消滅時効や商事消滅時効は廃止され、上記の枠組みに統一されています。取引債権は、実務上、弁済期から5年を目安に管理することが多いです。ただし、時効の起算点や、催告・協議・承認による完成猶予・更新などの判断は、請求内容により異なり、必ず弁護士に確認してください。社内では時効管理表を作り、期限を見える化しておくと安心です。

訴訟以外の選択肢を検討する

訴訟提起の前に、代替手段も検討します。事案によっては、より早く・低コストで解決できることがあります。

選択肢 向いている場面(例) 注意点
任意交渉関係維持を重視合意の証拠化
内容証明郵便請求の意思を明確化送付内容は弁護士確認
支払督促争いが少ない金銭請求相手方の異議で通常訴訟に移行し得る
民事調停/ADR話し合いでの解決相手方の協力が前提
少額訴訟60万円以下の金銭請求利用要件・回数制限あり
通常訴訟争いが大きい・高額時間・費用がかかる
仮差押え(保全)財産散逸のおそれ担保・疎明等、弁護士相談必須
契約解除・取引停止取引関係の整理解除要件の確認

※各手続の適否・要件は事案により異なります。選択は弁護士と相談してください。

任意交渉
/
支払督促
/
調停
/
仮差押え
/
訴訟
事案に応じて最適な手段を選ぶ(訴訟ありきにしない)

仮差押え・保全手続を検討する場面

訴訟で勝っても、その前に相手方の財産が散逸してしまうと、回収できないことがあります。そのような場合に、仮差押えなどの民事保全手続が検討対象になることがあります。

確認事項 補足
財産散逸のおそれがあるか保全の必要性
担保提供・疎明の要否専門的判断が必要
費用・相手方への影響慎重な検討が必要
弁護士への相談法務だけで判断しない

仮差押え・強制執行は、安易に使える手段ではありません。担保提供・疎明・費用・相手方への影響など専門的な判断を要します。法務担当者だけで判断せず、必ず弁護士に相談してください。

費用対効果を検討する

検討要素
請求金額/回収見込み額
弁護士費用/裁判所費用/強制執行費用
社内工数/訴訟期間
相手方の資力/証拠の強さ
事業影響/評判リスク/取引関係への影響
類似案件への牽制効果/回収不能リスク

費用の整理・社内説明は第13話「訴訟費用・弁護士費用の社内説明」を参照してください。裁判所手数料は訴額に応じて変わり、「手数料額早見表」で確認できます。

社内承認・稟議で確認すべきこと

確認事項
訴訟提起の目的/請求金額/相手方
請求原因/主要証拠
勝訴見込み/回収可能性
費用見積/訴訟以外の選択肢
事業影響/評判リスク/経営判断事項
予算措置/承認者
取締役会・経営会議付議要否/弁護士依頼内容

付議の要否は会社規程・案件の重要性によります。社内報告書の作り方は第14話を参照してください。

訴訟提起前の社内報告メモのテンプレート

項目 記入欄
事案名/相手方 
請求内容/請求金額 
請求原因の概要/主要証拠 
相手方の反論予測 
回収可能性/費用見通し 
訴訟以外の選択肢 
訴訟提起のメリット/デメリット 
経営判断事項/弁護士見解 
推奨方針/次回アクション 

弁護士に相談する前に準備する資料

準備する資料
契約書/注文書・発注書/請求書/納品書・検収書
メール/チャット/議事録/稟議資料
事実経過表/証拠整理表/請求金額計算表
相手方情報/支払督促・催告履歴/交渉経緯
回収可能性メモ/社内希望方針

準備が整っているほど、弁護士相談が的確かつ効率的になります。役割分担は第12話を参照してください。

訴状作成前に法務部が確認すること

訴状そのものは弁護士が作成します。法務部は、社内情報・社内承認内容との整合を確認します。

確認項目
当事者名・住所/所在地・代表者
請求の趣旨/請求の原因/請求金額/遅延損害金
管轄
証拠・契約条項との整合性
社内承認内容との整合性
添付資料/公開・開示影響
提出後の社内対応

提訴後に備えて準備しておくこと

準備事項
事件管理番号/裁判所書類の保管/期日管理
弁護士との連絡窓口/社内報告ルート
追加証拠収集/相手方反論への対応
和解協議の可能性
費用管理/回収管理
広報・IR対応要否/訴訟ホールド継続
経営陣への定期報告

提訴後は被告のときと同様、証拠保全(第5話)や和解協議(第15話)、判決後対応(第18話)が問題になります。

こちらから訴えるときにやってはいけないこと

やってはいけないこと なぜ問題か
感情だけで訴訟提起を決める費用対効果を見誤る
請求原因を整理しない請求が認められにくい
証拠が不十分なまま進める立証できない
相手方の反論を想定しない見通しを誤る
勝訴可能性だけで判断する回収できないことがある
回収可能性を確認しない勝っても回収できない
費用を見積もらない採算が合わない
社内承認を取らずに進める権限を逸脱する
時効を確認しない時効消滅のリスク
相手方の資力を確認しない回収不能になり得る
訴訟以外の選択肢を検討しないより良い手段を逃す
不利な証拠を弁護士に共有しない途中で覆される
提訴後の広報・取引影響を考えない事業に波及する

訴訟提起前チェックリスト

✓ 確認項目
☐請求内容・請求原因を整理したか
☐主要証拠・不利な証拠を確認したか
☐相手方の反論を予測したか
☐請求金額を計算したか
☐時効・管轄を確認したか
☐相手方の所在・資力を確認したか
☐回収可能性を検討したか
☐訴訟費用・弁護士費用を見積もったか
☐訴訟以外の選択肢を検討したか
☐社内承認ルートを確認したか
☐経営陣への説明資料を作成したか
☐弁護士に相談したか

よくある誤解

  • 「訴えれば相手はすぐ払う」とは限りません。争われれば時間がかかります。
  • 「勝てば必ず回収できる」は誤りです。相手に資力がなければ回収できません。
  • 「契約書があるから証拠は十分」とは限りません。請求原因に必要な事実が揃うか確認します。
  • 「請求金額が大きければ訴訟する価値がある」とは限りません。回収可能性と費用対効果を見ます。
  • 「内容証明を送れば必ず有利になる」ではありません。内容や時期の検討が必要です。
  • 「法務だけで訴訟提起を決めてよい」ではありません。経営判断事項です。
  • 「相手方の資力は判決後に考えればよい」ではありません。提起前に確認します。
  • 「弁護士には直前に相談すればよい」ではありません。早めの相談が有効です。
  • 「訴訟提起を強いメッセージとして使えばよい」とは限りません。関係悪化・反訴のリスクもあります。
  • 「提訴後の広報・取引影響は後で考えればよい」ではありません。事前に検討します。

第19話のまとめ

  • こちらから訴える場合は、請求原因・証拠・請求金額・時効・管轄・相手方・回収可能性を整理します。
  • 訴訟提起は、勝敗見通しだけでなく、費用対効果・事業影響・評判・社内承認を踏まえた経営判断です。
  • 勝訴と回収は別問題であり、相手方の資力・所在・強制執行可能性の確認が重要です。
  • 訴訟以外の選択肢も検討し、弁護士と相談して最適な手段を選びます。
  • 法務担当者は、弁護士の法的判断を支えるため、社内資料・事実経過・証拠・費用・回収可能性を整理します。

いよいよ次回・最終回 第20話「訴訟対応チェックリスト|法務担当者が保存しておきたい実務一覧」では、シリーズ全体を一枚で振り返れる保存版チェックリストをまとめます。

提訴前の「判断材料の整理」を効率化

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シリーズ全20話のリンク一覧

「法務担当者のための訴訟対応実務20選」の全記事です。気になるテーマからお読みいただけます。保存版としてブックマークをどうぞ。

話 タイトル
第1話訴訟対応とは何か|会社の法務担当者が知っておくべき全体像
第2話訴状が届いたら最初に確認すること|訴状・呼出状・答弁書催告状の見方
第3話答弁書とは何か|提出期限・認否・初回期日までの実務対応
第4話訴訟対応の初動チェックリスト|社内共有・弁護士相談・期限管理
第5話訴訟ホールドとは何か|メール・チャット・資料を削除しないための対応
第6話訴訟対応で集める資料一覧|契約書・メール・請求書・議事録の探し方
第7話事実経過表の作り方|訴訟対応で時系列を整理する方法
第8話争点整理とは何か|相手の主張・こちらの反論・証拠を対応させる
第9話証拠説明書とは何か|書証番号・作成者・立証趣旨の基本
第10話準備書面とは何か|弁護士ドラフトを法務が確認するときの見方
第11話認否とは何か|訴訟対応で「認める・否認する・不知」をどう確認するか
第12話弁護士との役割分担|法務・現場・経営陣は何を担当するか
第13話訴訟費用・弁護士費用の社内説明|予算・稟議・見通しのまとめ方
第14話訴訟中の社内報告書の作り方|経営会議・取締役会への報告ポイント
第15話和解協議の進め方|金額・条件・社内承認で見るべきポイント
第16話和解条項の読み方|清算条項・守秘義務・不履行時対応の基本
第17話尋問対応の基本|証人候補・陳述書・想定問答をどう準備するか
第18話判決が出た後の対応|控訴・支払・会計処理・社内説明
第19話こちらから訴えるときの準備|請求原因・証拠・回収可能性の検討(この記事)
第20話訴訟対応チェックリスト|法務担当者が保存しておきたい実務一覧

参考情報

本記事は一般的な解説です。請求原因・時効・管轄・裁判所手数料・保全・強制執行などの取扱いは、事案や時期によって異なり得ます。とくに時効・保全・執行に関わる判断は、最新の公式情報をご確認のうえ、必ず弁護士・会計専門家にご相談ください。

※本記事は企業の法務担当者向けの一般的な情報提供を目的としたものであり、特定の事案に対する法的・会計的アドバイスではありません。請求原因・時効・保全・強制執行・回収方針など個別の判断は弁護士・会計専門家にご相談ください。